県立美術館へゴッホ展を鑑賞に出かけた。
ゴッホは好きな画家のひとりである。
特に「ジャガイモを食べる人々」が良い。
農民の顔、目、手が、強烈に表現されている。
天才とは、普遍性のある作品を創りあげる能力を
持っている芸術家を言うのであろう。
普遍性とは、歴史という名の長い時間が判断する。
そもそも、その普遍性とは何なんだろう ?
本質を表現する事なんだろうか ?
どんな人間が本質を表現できるのだろうか ?
自分に馬鹿正直で、社会性が乏しく、そして
身も心も削り取られ、早死にして行く。
天才に生まれる事は、凡人から見れば、ある意味
不幸なのかも知れない。
月曜日の昼時なのに、かなり来場者は多い。
朝から雨模様。
長袖を選択。
モーツァルトの父親であるレオポルド・モーツァルト(以下レオポルド)が生まれた家を見学に、ミュンヘンの北西にあるアウグスブルグを訪れた。
モーツァルトが、1000年に一度の大天才と言われるのは、確かにレオポルドの教育のおかげである。
それが無ければ、他の作曲家のように、ただの天才であっただろう。
教育者レオポルドは、それほど頭が良かった訳である。
そんな意味でも、レオポルドには興味があった。
室内のヘッドフォンの解説では、レオポルドは自身の人生を全てなげうって、モーツァルトを連れて、度重なる演奏旅行をしたのではなく、本人も結構旅行が好きだったようである。
私は、旅好きはモーツァルトだけ、と思っていたのに。
親譲りなんだ。
つまり旅をすることにより、日常のしがらみから離れ、自由になりたかった訳である。
そして常に見知らぬ人と出会い、新鮮な情報を得る事に、喜びを感じていたのだろう。
「 旅 」 → 「 自由 」 ← 「 海 」
いずこにあるヨットを、いずこへ売却。
その過程でも旅が伴う。
なぜかクスグッタイ、自分のよう。 (笑)
自由な行動の源である、両足、そして車は常にGOOD CONDITIONにしておかなくては。。。。
生まれた場所は、ごく普通の街中であった
レオポルド、そして妻のアンナ・マリア
これ程、すがすがしい空気に触れた事が今までに
あろうか ?
気温は20度弱、湿度は少なく、日本の地獄のような
暑さに較べれば、大天国である。
とにかく、外気に触れるだけでも幸せな気分になる。
朝から精力的に歩き回った。
イン川、黄金の小屋根、マクシミアン博物館、州立博物館フェルディナンデウム、凱旋門。
ヨーロッパの奇跡、ハプスブルグ家の絶頂期の遺産、品々で埋め尽くされている感じだ。
また、近くのブレンナー峠を見に行って、イタリア方面を
眺めたかったが、現在の高速道路では昔の味はなかろう。
一方で、ドイツ圏観光を卒業して、次はイタリアに行ってみたい自分がいるのだが。
こんなに近くに来ているのに、なかなか勇気が湧かない。 (笑)
ハプスブルグ家栄華の象徴、黄金の小屋根の前で。
イン川はザルツァッハ川と合流し、ドナウへ
今年の夏もヨーロッパに来た。
8/26から始まるハンゼヨットディーラーミーティングに参加する為だ。
その前に観光する場所を、今回はインスブルック(以下インス)、アウグスブルグに選んだ。
夏はほとんどの、オペラハウスはお休みである。
ヴェローナ(北イタリア)、メルビッシュ(ウィーン郊外)での野外オペラまでは勇気が出ない。
ウエブでインスの古楽(Early Music)祭を発見した。
カッチーニのオペラ「エウリデーチェ」の上演である。
これに決めた !!
インスはモーツァルト親子が、イタリア旅行の際泊まった所だし。
そうだ、お父さんの故郷のアウグスブルグにも立寄ろう。
ミュンヘンから列車でインスに入った。
とにかく、真上にせまるアルプスの山々に圧倒された。
予約のホテル「ヴァイセス・クロイツ」は容易に見つける事ができた。
チェックイン後、ホテルの真ん前のカフェで、「お疲れさん」のビールを飲んでいたら、私のホテルの前壁に、あるプレートを発見した。
なんと、モーツァルト親子が1769年12月14日に宿泊していたのだ。
当時のモーツァルトは13才。
感激である !!
早速、フロントで 「どの部屋に泊まったの?」
案内してくれた部屋は現在はホテルオーナーの仕事部屋になっているとか。
今晩上演のオペラは、1600年ごろの作品である。
バッハ、ヘンデルより100年も前である。
上演時間も短く1時間半、主題歌が最初から最後まで流れていたようで、オーケストラ(古楽器使用)も10人以下。
初期のオペラはこんなんだったのか !!
と変な納得をしてしまった。
驚く事なかれ、1465年創業のホテルである。
左側にはモーツァルト親子の宿泊記録プレートが。
モーツァルト親子はとんな会話をしていたのだろう ?
天井の剛健な木組みだけが、知り続けている。
オペラハウスの周りはなぜかザルツブルグの祝祭劇場の雰囲気をかもし出していた。
医大に入れば、お医者さんに。
法学部に入れば弁護士、検事に。
社会の中に受け皿があって、専門学部が存在する。
しかし、音大に入れば音楽家に成れるんだろうか ?
ほとんどNOである。
芸術家の活躍場所は限定的である。
特に日本は。
北垣旬子(ソプラノ)さんを初めて聴いたのは丁度3年前である。
「椿姫」のヴィオレッタを通しで歌ったのを、鮮明に覚えている。
その後も、イタリアで3ケ月、日本で3ケ月の音楽活動を続けている。
彼女にしてみれば、「プロ、アマは関係ない。好きな音楽活動をどう創造していくかが、私の人生である」と思っているのかな ?
イタリアから恩師(メゾソプラノ)を迎え、
「蝶々夫人」では着物姿でスズキを聴かせてくれた。
よく立ち寄る、アンティークショップ「FOGHORN」の船田さんから、「鹿児島によく出張するなら、一度沈壽官窯に立ち寄ったら」とよく言われる。
焼き物に興味が無いから、いつも生返事。
ロシア向けヨットの輸出検査で、鹿児島谷山に出向いた。
午後一番の検査はすぐ終わった。
暑い最中、広島までの長距離運転はイヤだし、夕方出て深夜到着を狙った。
高速の深夜割引も可能になるし。
さて、それまでどうしよう ?
そうだ、行ってみよう。
沈壽官窯は車で約30分の距離にあった。
韓国と中古艇ビジネスを始める前に、日韓併合36年の歴史はかなり勉強した。
しかし豊臣秀吉の朝鮮出兵の歴史書は、ほとんど読んでいない。
あえて言えば、韓国の武将、李スン臣ぐらいである。
薩摩焼よりも、拉致された朝鮮人の歴史の方が興味深い。
焼物は買わず、司馬遼太郎の「故郷忘じがたく候」を買って帰った。
どんな絶望の中でも、人間は生きて行ける。
作曲家の坂本龍一さんが言っていた。
美術館へは本物の絵を見に行くのに、音楽はどうして録音もので、満足してしまうのだろう ?
まさに、これはコピーの絵画を見ているのと同じなんだ。
もっともっと、コンサートに行くべきなのだ。 と
同感である。
やはり足を運んでこそ、本物を堪能できるのだ。
イギリスのサラ・ブライトマンが広島にやってきた。
歌が本当に本当に、うまい彼女が大好きだ。
席は最前列から3番目のほぼ中央。
歌をとってもとっても、大切にしている事が手に取るように
わかる。
美空ひばりを思い出してしまった。
コンサートのお土産は「幸福感」であった。
録音ものでは、味わえない感覚である。
才能のある人ほど、挑戦している
ベッカムも同様、物腰が本当にソフト。
個人自営業という仕事がら、「能力」とか「才能」という言葉にはとても敏感だ。
ましてや「天才」となると、最大級のあこがれに
なってしまう。
熊野町にある、筆の里工房へ「天才画家の10代」を
鑑賞に出掛けた。
ピカソ、モネ、ロートレック、ムンク、平山郁夫、山下清、
池田満寿夫等、24名の作品があった。
やはり気になったのはピカソである。
一日に平均3枚の絵を描き続け、92才まで生きた
のだから、その点数は膨大である。
作品は初めて観るものばかりであった。
「踊り子」「街の娘」は最小限の輪郭線にもかかわらず、
衣類のふくらみが見事に表現されている。
いや、余分な線を捨てているからではないだろうか。
ピカソは正真正銘の天才である。
19才の作品 「踊り子」。
とても小さく、ハガキ程度の大きさである。
楽器より声、写真より絵画の方が表現力があると常々
思っている。
しかしそれは単なる先入観かも知れない。
横浜国際ボートショウでの夜、今年もハワイアンパブ
「チャートハウス」に出かけた。
昨年は気付かなかったが、一枚の写真が目にとまった。
なんと素敵な写真なんだろう !!
全然エロさは感じられない。 (笑)
有名な写真家が撮ったものらしい。
膝元のハイビスカスは取り除いた方が良いのでは ?
ドイツ屈指の名城、ホーエンツォレルン城に出かけた。
乗換無しの列車を選んだが、目的のヘッシンゲン駅には
行かず、列車はまたシュトゥットガルト駅に戻ってきた。
まちがった連結車両に乗ってしまったのだ。
まだ間に合う、再度チャレンジ、絶対あきらめない。 (笑)
駅員にヘッシンゲン行の車両かを確認し、乗り込む。
タクシーから眺める海抜900mの頂上に建てられた、
この城の迫力は圧巻である。
そして美しい。
こんな途方もない建築物を目の当たりに見ると、
無意識でも時間軸ばかりに、こだわってしまう
一代主義的な現代人が貧弱に思える。
本当に来て良かった !!
旅行最後のオペラ観劇は、ヘンデルの <アルチーナ>。
モーツァルトの次に好きな作曲家である。
ここのオペラハウスのオーケストラボックスの床は上下可動式である。今日は客席の高さまで上げ、舞台と両方を楽しめるスタイルだ。
今日の座席はコンマスの真後ろ。弦を擦る音まで聴こえて来る。
バロック音楽は少人数の編成なので、一人ひとりの力量が問われる。
チェンバロ、チェロ、バイオリン、オーヴォエは素晴らしい
音色で、しかも繊細に奏でいた。
タイトルロール、アルチーナを歌うソプラノ歌手(Netta Or)
はこの演目を得意とするのか、オーラさえ感じた。
前任者のC・ネーゲルスタッドとオーバーラップしてしまう。
2月には「トスカ」を歌うと、クロークの女性が言っていた。
坂道を歩きながら、ホーエンザルツブルグ城塞を思い出した
バロック音楽の指揮者は身振り、手振りが大きい