◆ブログカテゴリー ⇒ クルージング & ヨットレース (49)  | マリン情報 (162) | オペラ (135)  | 日々、つれづれ (31)  | 全てのブログ(投稿記事) (376)

メイン

オペラ

ヴエローナにて (2/2)

とうとう、夢にまでみた野外オペラの観劇の日となった。

オペラハウスにくらべ、舞台はずっと広い訳であるから、
総登場人物が多い方が迫力が出てくる事になる。

そんな訳で、旅行日程とも絡め、ヴェルデイの「アイーダ」を選んだ。

座席は一番高い189ユーロのSEATを、インターネットで6月には購入した。
オーケストラピットから3番目の、中央から少し左寄り。

開場は開演の一時間前の午後8時。
舞台よりも、観客席が気になる。
1万8000人は収容できるという。
円形闘技場を下から見ると、異様な興奮さえおぼえる。


静かにオーケストラの前奏から、オペラは始まった。
以外に歌手の声が伝わってくる。
少しマイクを使っているのかな ?

残念なのは、若き将軍ラダメス役の太り過ぎ、
奴隷アイーダ役の年増過ぎ。
ベストなキャスティングはなかなか難しい。

シリアスなストーリーとは別に、実際の舞台は子供・
ダンサーも加わり、グランドショーのような展開であった。
これがやはり野外オペラの魅力なんだろう。

この観劇は良い思い出になる事だろう。


残念ながら、寝台列車でドイツ・グライフスバルトへ
移動しなければならないので、途中退席した。


上部座席にはロウソクがくばわれ、
照明が消えると幻想的になる。


風で衣装がたなびくのも、野外オペラならでは。

ヴェローナにて (1/2)

8/23,早めにチェックアウトし、運河でサンタ・ルチア駅
に向った。
大きなクルーズ客船が近くを通ったのにはビックリ。

運河から眺めていると、このヴェネツィア共和国は、
どのようにして創られたのかを知りたくなった。

これだけの建物が水辺にひしめき合うのには、
確かに1000年は必要であったのだろう。


駅の 「みどりの窓口」 での発券作業の遅さには、
不快を感じた。
うわさに聞く、働かないイタリアの公務員を見た感じ。

ヴェローナ駅に着いた頃は雨模様。
ホテルの場所が分からない。
近くのホテルに聞いても 「B.B.カルメン」なんて
知らないねと。

ホテルらしくない名前で、一瞬悪い予感がしたが、
大きなビルの3階の一角に手書きの「B.B.カルメン」を
見つける事がてきた。

飲み屋のママのような支配人が、「先に金をくれ」 と
言うし、もちろんチェックアウト時に払うと断ったが。
何事もなければ良いが。。。

気を取り直して、明日の野外オペラ会場のアレーナ
(円形闘技場)に下見に出かけた。
タクシー乗場も確認できた。

紀元前の建物を状態が良いからといって、よく保存し
続けているものだなと思った。

日本なら、安全上の問題云々でとっくに
取り壊しているのに。

この違いはどこから来るんだろう ?


ゴンドラとクルーズ客船、絵になります


アレーナの前でビールを飲みながら
明日の「アイーダ」に期待が膨らむ

ヴェネツィアにて (2/2)

アカデミア、ペギー・グッケン両美術館にて、絵画を鑑賞した後、夏休み中のオペラハウス「フェニーチェ劇場」を見学に行った。

12ユーロで入場可能なので、ホールに入ると9月からのオペラシーズンの為の、ゲネプロ(オーケストラと歌手との最終稽古)を見ることができた。

演目はヴェルディの「椿姫」。
なんという幸運な事だろうか !!

若い指揮者がしきりに、歌手とオーケストラとの調整に、大声を出していた。

やはり、ピットに入っていても、最終的には指揮者が牛耳っているのだろう。
ほんとうに貴重なシーンを見学できた。


サン・マルコ広場で、バンド演奏をしていたので、
一番近くの座席で、ビールを飲んだ。

ピアニストの女性が、私を日本人だと確認し、「瀬戸の花嫁」を演奏してくれた。
うれしかった。

1771年2月13日、モーツァルト父子が謝肉祭のカーニバルに、この広場に来た事もあって、彼の「トルコ行進曲」をリクエストした。

譜面を取り出して、演奏してくれた。
ピアノではなく、クラリネットをフューチャーして。
この場で聞いていると、不思議な気持ちになった。

あのピアニストの女性になぜか、特別なものを感じてしまった。

旅とはこんなものだろう。。。 (笑)


青を基調にした、とても美しい場内。


旅に出て、音楽を求める気持ちが強い事、再確認した

ヴェネツィアにて (1/2)

ハンゼヨットディーラーミーティングの前に、今年はヴェネチィア、ヴェローナに立寄る事にした。

空港から通船で、本島の半分を沖から眺めながら、
想いを馳せ、中世の歴史をぼんやりと感じた。

降りた桟橋から、サン・マルコ広場近くに予約した
ホテルを見つけるのに一苦労。

詳細な地図はあるものの、迷路のような路地には
びっくり。
とうとう人に聞いて、やっとたどり着いた。

インターネットも通じ、安心して昼食を取ることができた。
ビールが美味しかった。

とにかく観光客が多い。
安芸の宮島どころではない。

明日からの観光、スリに会わないように !! (笑)


これが北ヨーロッパ人の憧れていた、イタリアの青い空。

パリ ヘ (3/3)

夕方帰国の1/25、ピカソ美術館が6月まで大改装中なので、次回に譲り、パリ最大の墓地「ペール・ラシェーズ墓地」に出かけた。

音楽家ではショパン、ビゼー、ロッシーニ等々。
画家ではダヴィット、コロー、ドラクロア等々。
作家ではオスカー・ワイル、ボーマルシェ等々

雨模様であったが、9時過ぎには小降りになってきたので、とりあえずチェックアウトし、スーツケースだけはホテルに預かって貰らった。

マリア・カラスと、エディット・ピアフの墓を見たかった。

旅行案内ではカラスの墓はなく、骨壺安置所にあるとの。

そこは丁度、コインロッカーのような感じであった。

多分、花で埋まっているのだろうから、すぐわかるだろうと
思っていたが、見つからず無駄な時間が過ぎるだけ。

とうとう聞いてしまった。
案内してくれたロッカーを見て、目を疑った。

一輪の花すら無い。
「これがあの偉大な歌姫の最後の場所なのか?」

縁には、彼女を愛おしむファンのサインが書かれていた。
最後の恋人、ステファーノのサインもあった。

晩年の一人ぼっちの境遇から、こうなったんだろうか ?
そして、彼女はフランス人でもないし。


ピアフの墓は見つけるのに時間はかからなかった。
彼女はFamilyの墓に収まっていた。
墓はよく手入れされ、花も飾られていた。

次回パリに来る時は、ピアフ記念館に是非行って
みよう。
彼女のいろんな事を見たい、知りたい。
パリオペラ座、シャンゼリゼ劇場、ピカソ美術館と
合わせて。

ホテルはシャンゼリゼの方が良いかも。
ディナーショウにも気軽に行けるから。


カラス54歳、ピアフ48歳、悲劇の歌姫は早々と世を
去ってしまった。

恐らく芸術は苦しみ、悲しみの中から生まれるものだろう。


ライトの左ななめ下が、マリア・カラス


モーツァルトの骨は見つからないのだから、まだ救われる?


エディット・ピアフの墓

パリ ヘ (2/3)

1/24、オランジュリー美術館とオルセー美術館に
出かけた。

30分早く開館するオランジュリーの方を先に見学。
モネの「睡蓮」で大広間は、いっぱいであった。
感動はなかった。人物画の方が好きだから。

その後、徒歩でオルセーに移動。
マネ、モネ、ルノアール、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン等
印象派・ポスト印象派の名画がずらりとあった。

絵画本に載っている絵に、どうしても関心が
集中してしまう。
絵の先生が同行なら、もっとレパートリーが
増える事だろう。

絵を観て感動するというよりも、1900年前後のヨーロッパ
の風景、社会を、絵を通してより知ることができた。

これに音楽、文学がクロスオーバーすると、より臨場感を
感じてくるだろう。

いずれにしても、本物をこんなにたくさん鑑賞できた事に
満足感を得た。


オルセー美術館は1900年に建てられた駅を利用との。
かまぼこ状の天井が美しく。
リベット構造の骨組が質実剛健である。

パリ へ (1/3)

デュッセルの帰り、今回はパリに立寄った。
ドイツ圏ではないので、盗難に神経を使う。

列車でドイツ北駅に到着し、外に出てみると
かなりの黒人、一瞬アフリカでは無いかと錯覚。

興味あるオペラ上演が無いので、美術館巡りと
決め込んだ。

23日は朝から一日中、ルーブル美術館へ。
広すぎて、居場所が全然わからない。

デュッセルボートショウ : 横浜ボートショウ =
ルーブル美術館 : 広島県立美術館
の数式が沸いてきた。 (笑)

宮殿とガラスピラミッド、オペラ座天井にシャガール壁画。
これがフランス人の芸術センスなのか?

一歩先に行っている。

無数の絵画の中で、歴史に残る名画はどこが違うのか。
その時代の絵画の中で、一歩先に行っているからでは?

モーツァルトの音楽がそうであったように。


絵画をカメラに収めるアジア人が多い。(No Flash OK)
本物をわざわざ観に来ているのに、じっくり鑑賞せず
なぜコピーを作ろうとしているのか、理解に苦しむ。
館内には小中学生のグループが多い。
先生は熱心に説明し、生徒達はメモをとる。
デュッセルB.Showでも同じ風景である。

シャガール 展

広島県立美術館にて開催中の、「シャガール展」を鑑賞に出向いた。

シャガールはピカソとともに大好きな画家である。
あの色彩が良い。

モーツァルトがお好きで、ニューヨークメトロポリタンオペラハウスの壁画も描いている。
<音楽の勝利>の赤が何とも言えない。

パリオペラ座の天井の壁画もすばらしい。
周りと溶け合っている。
来年のデュッセルボートショウの帰りに行ってみよう。

90才以上まで現役でおられるのは、創造性のある仕事でフリーゆえなのだろうか ?

指揮者、作曲家、歌手、作家、画家、デザイナー、映画監督、俳優等。
たとえヨボヨボでも、車椅子でも全然恰好悪くない。


私もそのようになりたい。 (笑)



ゴッホ 展

県立美術館へゴッホ展を鑑賞に出かけた。

ゴッホは好きな画家のひとりである。
特に「ジャガイモを食べる人々」が良い。
農民の顔、目、手が、強烈に表現されている。

天才とは、普遍性のある作品を創りあげる能力を
持っている芸術家を言うのであろう。

普遍性とは、歴史という名の長い時間が判断する。

そもそも、その普遍性とは何なんだろう ?

本質を表現する事なんだろうか ?

どんな人間が本質を表現できるのだろうか ?

自分に馬鹿正直で、社会性が乏しく、そして
身も心も削り取られ、早死にして行く。

天才に生まれる事は、凡人から見れば、ある意味
不幸なのかも知れない。


月曜日の昼時なのに、かなり来場者は多い。

アウグスブルグ ヘ

朝から雨模様。
長袖を選択。

モーツァルトの父親であるレオポルド・モーツァルト(以下レオポルド)が生まれた家を見学に、ミュンヘンの北西にあるアウグスブルグを訪れた。

モーツァルトが、1000年に一度の大天才と言われるのは、確かにレオポルドの教育のおかげである。
それが無ければ、他の作曲家のように、ただの天才であっただろう。

教育者レオポルドは、それほど頭が良かった訳である。
そんな意味でも、レオポルドには興味があった。

室内のヘッドフォンの解説では、レオポルドは自身の人生を全てなげうって、モーツァルトを連れて、度重なる演奏旅行をしたのではなく、本人も結構旅行が好きだったようである。

私は、旅好きはモーツァルトだけ、と思っていたのに。
親譲りなんだ。

つまり旅をすることにより、日常のしがらみから離れ、自由になりたかった訳である。
そして常に見知らぬ人と出会い、新鮮な情報を得る事に、喜びを感じていたのだろう。


「 旅 」 → 「 自由 」 ← 「 海 」

いずこにあるヨットを、いずこへ売却。
その過程でも旅が伴う。
なぜかクスグッタイ、自分のよう。 (笑)

自由な行動の源である、両足、そして車は常にGOOD CONDITIONにしておかなくては。。。。


生まれた場所は、ごく普通の街中であった


レオポルド、そして妻のアンナ・マリア