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木造手漕ぎボート

ヨットは私のビジネスの商材でもある。

しかし、芸術鑑賞を重ねているうちに、アート性のある商材も、レパーリーに入れたい思いが、次第に湧き始めた。

そうすることが、芸術への興味と、ビジネスが刺激し合うことにもなる。

結局、アンティークな木造ボートに到達した。


数年前、尾道のヨットオーナーが経営する、フランス料理店の天井にあったボートを思い出した。

ヨーロッパの余韻が残り、仕事モードにまだなっていない事もあって、ランチに出かけた。

以前は躊躇していたのだか、やはり気持ちがリフレッシュされているのだろう。


いい味のボートだ !!
内側も見たいが、降ろすのは無理。
見に来てよかった。


どう展開していくかは、胸の中。 


海べりのお店と、天井のボート。
ステキな雰囲気だ。

Dealer Meeting 2013 (3)

最後の日となった。

例年のように、工場内の見学が行われた。
やはり驚くのは木工パート。

定尺の板を選別、カッティング、塗装、ユニット組立が流れ作業で行われている。
写真をお見せできないが、圧巻である。

造船所というより、車工場に近い。

午後4時には、無事Dealer Meetingを消化し、明日の夜はベルリンのテイゲル空港から帰国する。

外国では何が興るかもしれないので、たとえ治安の良いドイツといえども、盗難には注意する。

無事の帰国を心掛けたい。



すでにHull No.60のHanse575、まだデビュー1年である。
スターンのディンギーガレージが人気なんだろう。

Dealer Meeting 2013 (2)

ニューモデルとして、2艇のヨットを見学した。
バリアンテ37、ハンゼ505。

バリアンテ37はハンゼ375のモールドを使い、安価でよりセーリング性能を追求したモデルである。
日本価格は1000万後半、パーフォーマンスクルーザー並みの走りである。
先発のバリアンテ44は、ハンゼ43と同一ハルでもある。

現在のハンゼはセーリング性能より、ショートハンドを追求しているので、これはこれで魅力的である。


一方ハンゼ505は、495のマイナーモデルチェンジ艇である。
GPSはステアリングコンソールに、キャビン内はより使い易いように。

ハンゼシリーズは、ショートハンドとしては成熟の粋になった。
個人的には、驚きを持たなくなってしまった。(笑)


夜は恒例の夕食会。

創業者であるシュミット社長時代の、華やかなディーラーミーティングを想い出してしまった。



建造中のバリアンテ37、10号艇。


Newハンゼ505のプロフィール

Dealer Meeting 2013 (1)

早朝5時半の列車に乗込み、アウグスブルグから
ベルリンの北、グライフスバルトに向かった。

10時間の旅は、ドイツをほぼ縦断したことになる。
窓から見える景色は、畑ばかり。

ドイツは工業国ではなく、農業国ではと思ってしまう。 
遊休土地も多く、どこにでも家は建てられ、食糧・エネルギー政策に、十分戦略を打てる国土である。

また、車内で見かける親子を見ると、愛情・教育・独立性等、数段日本より上である。
何か余裕すら感じる。


夕方からの、ウエルカムパーティに参加した。
135Eからは門田社長、小林顧問も来ていた。

明日からのミーティングが楽しみだ。


いつも変わらぬ、ハンゼヨットのドックサイド

アウグスブルグ ヘ

朝から雨模様。
長袖を選択。

モーツァルトの父親であるレオポルド・モーツァルト(以下レオポルド)が生まれた家を見学に、ミュンヘンの北西にあるアウグスブルグを訪れた。

モーツァルトが、1000年に一度の大天才と言われるのは、確かにレオポルドの教育のおかげである。
それが無ければ、他の作曲家のように、ただの天才であっただろう。

教育者レオポルドは、それほど頭が良かった訳である。
そんな意味でも、レオポルドには興味があった。

室内のヘッドフォンの解説では、レオポルドは自身の人生を全てなげうって、モーツァルトを連れて、度重なる演奏旅行をしたのではなく、本人も結構旅行が好きだったようである。

私は、旅好きはモーツァルトだけ、と思っていたのに。
親譲りなんだ。

つまり旅をすることにより、日常のしがらみから離れ、自由になりたかった訳である。
そして常に見知らぬ人と出会い、新鮮な情報を得る事に、喜びを感じていたのだろう。


「 旅 」 → 「 自由 」 ← 「 海 」

いずこにあるヨットを、いずこへ売却。
その過程でも旅が伴う。
なぜかクスグッタイ、自分のよう。 (笑)

自由な行動の源である、両足、そして車は常にGOOD CONDITIONにしておかなくては。。。。


生まれた場所は、ごく普通の街中であった


レオポルド、そして妻のアンナ・マリア

インスブルックへ (2)

これ程、すがすがしい空気に触れた事が今までに
あろうか ?


気温は20度弱、湿度は少なく、日本の地獄のような
暑さに較べれば、大天国である。


とにかく、外気に触れるだけでも幸せな気分になる。


朝から精力的に歩き回った。


イン川、黄金の小屋根、マクシミアン博物館、州立博物館フェルディナンデウム、凱旋門。


ヨーロッパの奇跡、ハプスブルグ家の絶頂期の遺産、品々で埋め尽くされている感じだ。


また、近くのブレンナー峠を見に行って、イタリア方面を
眺めたかったが、現在の高速道路では昔の味はなかろう。


一方で、ドイツ圏観光を卒業して、次はイタリアに行ってみたい自分がいるのだが。


こんなに近くに来ているのに、なかなか勇気が湧かない。 (笑)



ハプスブルグ家栄華の象徴、黄金の小屋根の前で。


イン川はザルツァッハ川と合流し、ドナウへ

インスブルックヘ (1)

今年の夏もヨーロッパに来た。
8/26から始まるハンゼヨットディーラーミーティングに参加する為だ。

その前に観光する場所を、今回はインスブルック(以下インス)、アウグスブルグに選んだ。

夏はほとんどの、オペラハウスはお休みである。
ヴェローナ(北イタリア)、メルビッシュ(ウィーン郊外)での野外オペラまでは勇気が出ない。

ウエブでインスの古楽(Early Music)祭を発見した。
カッチーニのオペラ「エウリデーチェ」の上演である。
これに決めた !!

インスはモーツァルト親子が、イタリア旅行の際泊まった所だし。
そうだ、お父さんの故郷のアウグスブルグにも立寄ろう。


ミュンヘンから列車でインスに入った。
とにかく、真上にせまるアルプスの山々に圧倒された。

予約のホテル「ヴァイセス・クロイツ」は容易に見つける事ができた。

チェックイン後、ホテルの真ん前のカフェで、「お疲れさん」のビールを飲んでいたら、私のホテルの前壁に、あるプレートを発見した。

なんと、モーツァルト親子が1769年12月14日に宿泊していたのだ。
当時のモーツァルトは13才。

感激である !!
早速、フロントで 「どの部屋に泊まったの?」
案内してくれた部屋は現在はホテルオーナーの仕事部屋になっているとか。


今晩上演のオペラは、1600年ごろの作品である。
バッハ、ヘンデルより100年も前である。

上演時間も短く1時間半、主題歌が最初から最後まで流れていたようで、オーケストラ(古楽器使用)も10人以下。

初期のオペラはこんなんだったのか !!
と変な納得をしてしまった。


驚く事なかれ、1465年創業のホテルである。
左側にはモーツァルト親子の宿泊記録プレートが。


モーツァルト親子はとんな会話をしていたのだろう ?
天井の剛健な木組みだけが、知り続けている。


オペラハウスの周りはなぜかザルツブルグの祝祭劇場の雰囲気をかもし出していた。

華麗なるオペラの夕べ

医大に入れば、お医者さんに。
法学部に入れば弁護士、検事に。
社会の中に受け皿があって、専門学部が存在する。

しかし、音大に入れば音楽家に成れるんだろうか ?
ほとんどNOである。
芸術家の活躍場所は限定的である。
特に日本は。

北垣旬子(ソプラノ)さんを初めて聴いたのは丁度3年前である。
「椿姫」のヴィオレッタを通しで歌ったのを、鮮明に覚えている。

その後も、イタリアで3ケ月、日本で3ケ月の音楽活動を続けている。

彼女にしてみれば、「プロ、アマは関係ない。好きな音楽活動をどう創造していくかが、私の人生である」と思っているのかな ?


イタリアから恩師(メゾソプラノ)を迎え、
「蝶々夫人」では着物姿でスズキを聴かせてくれた。

沈壽官窯(チンジュカン)

よく立ち寄る、アンティークショップ「FOGHORN」の船田さんから、「鹿児島によく出張するなら、一度沈壽官窯に立ち寄ったら」とよく言われる。
焼き物に興味が無いから、いつも生返事。

ロシア向けヨットの輸出検査で、鹿児島谷山に出向いた。
午後一番の検査はすぐ終わった。

暑い最中、広島までの長距離運転はイヤだし、夕方出て深夜到着を狙った。
高速の深夜割引も可能になるし。

さて、それまでどうしよう ?
そうだ、行ってみよう。
沈壽官窯は車で約30分の距離にあった。

韓国と中古艇ビジネスを始める前に、日韓併合36年の歴史はかなり勉強した。
しかし豊臣秀吉の朝鮮出兵の歴史書は、ほとんど読んでいない。
あえて言えば、韓国の武将、李スン臣ぐらいである。

薩摩焼よりも、拉致された朝鮮人の歴史の方が興味深い。
焼物は買わず、司馬遼太郎の「故郷忘じがたく候」を買って帰った。


どんな絶望の中でも、人間は生きて行ける。

サラ・ブライトマン コンサート

作曲家の坂本龍一さんが言っていた。

美術館へは本物の絵を見に行くのに、音楽はどうして録音もので、満足してしまうのだろう ?

まさに、これはコピーの絵画を見ているのと同じなんだ。
もっともっと、コンサートに行くべきなのだ。 と

同感である。
やはり足を運んでこそ、本物を堪能できるのだ。

イギリスのサラ・ブライトマンが広島にやってきた。
歌が本当に本当に、うまい彼女が大好きだ。

席は最前列から3番目のほぼ中央。
歌をとってもとっても、大切にしている事が手に取るように
わかる。
美空ひばりを思い出してしまった。

コンサートのお土産は「幸福感」であった。

録音ものでは、味わえない感覚である。


才能のある人ほど、挑戦している
ベッカムも同様、物腰が本当にソフト。